【古代ギリシア】ソクラテスの思想・教育目的のまとめ

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ソクラテスとは

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紀元前469年、彫刻家、石工の父と助産婦の母のもとにアテナイで生まれた、古代ギリシアの哲学者である。

ソクラテスは、「正義とは何か」、「勇気とは何か」という問いに対して、さらに問題を深めるような問いをかけて本質に迫る、問答法をおこなった人物である。しかし、このような彼の行動は、戦争に対する疑問の念を青年たちに持たせ、国家の認める神の教えに背くものであるとして、死刑を宣告された。そのとき、彼は逃亡の準備を整えた弟子に対して、不正をすることは正しいことではない、「悪法も法である」として、毒を服用し自害した。

ソクラテスの教育目的

 

教育の目的とは、誤りを避けて、真理を見い出すことである

 

ソクラテスの思想

無知の知・無知の自覚

無知の知とは、
「人は真理すべてを知ることはできない。人間は無知だということを知るべきである」
というソクラテスの教えの中心にある考え方である。

では、その思想はどのように生まれたのか。

『ソクラテスの弁明』の終盤、死刑が確定した後の、死についての自身の見解を聴衆に語るくだりにおいて鮮明かつ象徴的に見て取ることができる。彼はそこで、(後に弟子のプラトンがオルペウス教(ピタゴラス教団)的な輪廻転生説に嵌っていくのとは対照的に)死後のことについては一切わからないという不可知論の立場を採る (死刑確定前の弁明においても、「死後のことを知っている者など誰もいないのに、人々はそれを最大の悪であるかのように恐れる。それは自ら知らざることを知れりと信ずる無知であり、賢くないのに賢人を気取ることに他ならない。私は死後のことについては何も知らない代わりに、知っていると妄信もしない。」といった趣旨の発言をしており、ソクラテスがここに相当のこだわりを持っていたことがうかがえる)。

このように、死後については「知らない」が、それを自覚しているがゆえに、それについての諸説を冷静に「知る」ことができるし、ひいてはどちらに転んでも自分や善き生を送った者にとって幸福であることも「知る」ことができ、だから死を恐れずに善き生をまっとうできる。
対照的に、知に対する節度をわきまえない独断論者たちは、どこかでつまずき、知りもしないことに踊らされ、翻弄され、そうはならない、といった具合に、「善き生」と「無知の知」はひとつの円環を成し、「無知の知」は「善き生」にとっての必須条件となっている。

産婆術・問答術

ソクラテスは、母親が産婆であった。
その母親の、助産術という仕事に着目したソクラテスは、そこから教育論へと哲学的考察を展開した。

子どもを身籠った母親は、臨月になると、母体内の胎児が、産道を、頭を下にして安らかに生まれ出るようにと、方向付けの手当をする。
逆子の場合などは、母体内の胎児に対して、方向転換の術を施すことが重要となる。
しかし、どんなに外側から、手をつくして、胎児の方向転換を願っても、胎児自身がそのもてる生命力でうまく方向転換してくれないことにはどうにもならない。
つまり、いかなる外側からの働きかけも、外側の人の力ではどうにもならない事態がある。
要は、子ども次第ということである。

ここから、教育論上の産婆術、学習の支援、児童中心主義へと翻案されていく。

また、ソクラテスは多くの大衆の前に立ち、ソフィストや市民たちと問答し、無知の知と徳について追求した。
この時、活用していたのが「問答法」である。

ソクラテスは問答法によって、相手の考えの不十分さや、誤りについて気づかせたが、
これは、自分ではなく、相手が知恵を生み出すのを助けることであったので、助産術または産婆術といわれた。

今日の授業で言えば、「発問を中心にした教授法」に近いように思える。

 

ソクラテスの名言

ソクラテス
私は知識を授けるのではなく、知識を産ませる助産婦である
ソクラテス
教育とは、炎を燃えあがらせることであり、入れ物を埋めることではない。
ソクラテス
私に分かっていることは、私が知らないということだ。

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